絵に描いた餅を食べる方法(4)
−どのあたりが源流?−


さて、前回ギリシャで自然科学の源流が生まれたが、その後
それが廃れていくというところまでお話した。
正直なところ余裕ないときってのは人間ろくな考えが浮かばないものかも。

悪い時代はしるしを求める、ってやつかね(ちょっと違う)

ま、どっちにしてもアリストテレスやプトレマイオスなど以降、そもそも
自然科学をどうこうするって言うこと自体が疎まれる時代になったと
言うのはちょいと言い過ぎか?

で、宗教に走ると。
いや、別に宗教自体はそんな悪いとは思わんのだけれどもね、変な押し付けや
何やらはじめるとちょっとどうかなと。
それは逆に科学信奉者にもいえることではあるけれども。
疑似科学信奉者ってのもいるなぁ。

どちらにせよローマ帝国で最初弾圧の対象であったキリスト教が
(実のところさまざまな各地の土着宗教やら何やらと融合したり対立したり
 しながらだけど)やがては国教となり、そして帝国も解体する。

そして科学はというと…

逆に今度中東で科学が発達を始めるんだよなぁ。
きっかけは存外イスラム教かもしれない。
現在では考えにくい(いや、実のところそれは偏見の部分もあるのだけれど)
のだが、イスラームが広がるとともに中東は相当の発展を遂げる。

ムハンマドってのはある意味すげぇ人ですよええ。
ある意味中東で科学が進歩し、そんで中東を発展させたのは彼の影響も少なからず
あると思われる。

幾何、天文、医学、錬金術、博物学、地誌学などが貪欲に取り込まれてゆく。
そして中東は一大文化圏となってさまざまな学問を進歩させることとなる。
錬金術は後に化学になり、代数、幾何などでの数学の進歩もそうとうなものが
あった。

…それなのになぁ。
ムハンマドから1000年、イスラムの科学は停滞するようになる。
(それは現代でもまだ十分改まっていないような)
クルアーンの暗誦こそ学問であるというファンダメンタリストがいたりね。

草葉の陰で…もとい天空の棺でムハンマドが泣いてるぞ。
この世界を正確に知ろうとすることはけして間違っていなかった、と思うのだが。
んでそれは必ずしも宗教と一致はしないが、相反するだけでもないと思う。

さてさて。
そんな感じで中東が科学に貪欲になっていたころのヨーロッパは、暗黒時代って
言うかむしろ黒歴史?ってレベルだよな。
カトリックの力が強すぎたのかもしれん。

しかしながら、その後持ち帰られたさまざまな情報や科学が、その後
ルネサンスに花開くことになる。

そのころある意味の裏社会?では(オカルト的なもんだと考えてくれ)
「そんなに神が作った神が作ったっていうならよ、聖書に世界の情報が
 記述されててなんでも作れるんじゃね?

みたいなこと考えた人らがいましてね。

いや、もちろんさ、それ自体は妄想なんだけど。
ただこの考え方が後に重要になってくるといえる。

何かを形作るのに必要な情報を世界から得て、そこから何かを作り出すって
いうのもひとつ面白い考え方である。
そして誰が作ったか自然にそうなったかはさておき、ともかくその情報が
存在すると…情報から何かを作れる。

伝説ではどうも成功した人もいるらしいがね、最近再現したって話は聞かない。
ただその考え方ってのは、意外と生き続けている、かもよ。

情報と物質の結びつけ、次回は形態学のお話。
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